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金沢地方裁判所 昭和47年(ワ)338号 判決 1975年12月12日

原告 成瀬功

<ほか二名>

右原告三名訴訟代理人弁護士 田中清一

北尾強也

被告 金沢市

右代表者市長 岡良一

右訴訟代理人弁護士 松井順孝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告成瀬功、同平瀬昇衛に対し各金三四万八、〇〇〇円、同竹内行雄に対し金一一万一、三六〇円及び右各金員に対する昭和四七年九月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

≪以下事実省略≫

理由

一  被告の地方競馬開催について

被告金沢市が、競馬法にもとづき地方競馬を金沢競馬場において開催していることについては、当事者間に争いがない。

二  審判委員の地位について

1  国家賠償法第一条第一項にいう公権力の行使とは、国又は公共団体の作用のうち、純然たる私経済作用及び同法第二条によって救済される営造物の設置・管理作用をのぞくすべての作用を指し、従って、いわゆる非権力的作用を含むと解するのが相当である。ところで競馬は、競馬法により開催主体が限定され、それ以外の者はこれを行なうことができないのであり、都道府県または市町村が行なう競馬は、同法にいう地方競馬であって、開催場所、開催回数、日数等は、同法、同施行令、同施行規則で定められ、また競馬の実施運営方法に関しても後記の如くこれら法令に詳細な規定がおかれており、何れもその基礎を法令におくものである。そして市町村等がこれら法令の規定に違反して競馬を行なった場合は、農林大臣はその停止を命ずることができ、また同大臣は競馬場内の秩序維持、又は競馬の公正確保のため設備の変更ないしは必要な措置をとることを命ずることができるとされており、更に、業務会計の検査などにおいても、農林大臣または都道府県知事の厳格な指導監督が行なわれており、その他同法におかれた種々の罰則規定を総合すると、地方競馬を、法令に基づく、秩序ある公正なものとして公的に維持運営しようとする法の意図が理解できるのである。もっとも競馬法に規定する競馬は、勝馬投票券の発売という形式で、入場観客に金銭を賭けさせ、当該勝馬に対する投票者に、一定の方式に従って算出された払戻金を交付するという一種の集団賭博であって、私法上の契約原理に基づいていることは否定できない。しかし賭博は刑法上罪とされているものであるが、この種の賭博を一定の制限のもとで公認し、秩序と公正を維持しながらこれを大衆の利用に供し、もって娯楽を提供するかたわら、収益をあげこれを畜産振興、社会福祉の増進、医療の普及、教育文化の発展、その他公共の施策を行なうのに必要な経費の財源にあてるように努めるところに競馬の公共的、行政的意義が見出されるのであり、この点において競馬法に基づく競馬事業は、単なる賭博以上のものであって、社会福祉目的をもつ行政作用と解され、これを指して純然たる私経済作用ということは到底できない。

すると、競馬法にもとづき市町村が行なう地方競馬運営作用は、公権力の行使と解すべく、従って、その業務過程の一部である勝馬認定行為(着順判定)等の審判業務も勿論国家賠償法第一条第一項にいう公権力の行使に該当するといわねばならない。

2(一)  訴外堀江一寿、同森勝夫及び同東出義弘が、金沢競馬の到達順位の判定、着順確定、異議の裁決等をなす業務に従事する審判委員であること、訴外堀江は、競馬法第二三条の二二にもとづき、金沢市からの要請に応じ地方競馬全国協会より金沢市に審判委員として派遣された協会の職員であること、訴外森は石川県競馬事業局業務課長補佐、同東出は同業務課主任という石川県職員であるが、昭和四七年六月一三日、地方自治法第二五二条の一七第一項にもとづいて金沢市長より金沢市地方競馬審判事務処理のため派遣を求められて金沢市に派遣された者であることについては当事者間に争いがない。

(二)  地方競馬全国協会(以下協会という)は競馬法によって設立される特殊公法人であり、地方競馬の公正かつ円滑な実施の推進を図ることなどを目的とし、その業務の一つとして、審判委員等を養成し或いは訓練し、市町村等の要請に応じてこれらの者を派遣することが定められている(競馬法第二三条の二二)。協会の職員は会長によって任命され、給与等も協会から支給され、また刑法その他の罰則の適用については法令により公務に従事する職員とみなされるものであるが、協会としての不法行為責任については民法第四四条が準用されているから(競馬法第二三条の九)、従って協会の職員の故意過失によって違法に他人に損害を加えたときは、協会は民法の規定によって責任を負うものであって、国家賠償法第一条に基づいて責任を負うものとはされていない。その限りでは、協会の業務を行なう職員を国家賠償法第一条に規定する公権力の行使に当たる公務員とみることはできないのであるが、その職員が、前記法条に基づき、市町村に派遣され、当該地方公共団体の事務の一部を処理するに至るときは、また別の観点からその身分について考察を加える必要がある。そして結局のところ派遣を受けた地方公共団体において処理する事務が公権力の行使に相当するものであるときは、その事務を処理する協会の職員は、右地方公共団体の長の指揮、監督を受けてこれを処理するものであって、国家賠償法制定の趣旨に照らせば、当該地方公共団体の身分を有する職員がその事務を処理した場合と効果において何ら異なるところなく、これと同視すべきものであるから、この場合の協会の職員をもって派遣を受けた地方公共団体の公権力の行使に当たる公務員と解するのが相当である。

証人堀江一寿の証言によれば、同人が審判委員として協会から受けた出張命令は、金沢市からの派遣申請にもとづくものであり、協会から旅費、日当の支給を受けて金沢市に赴いたこと、そして同人は当時の開催執務員名簿に記載されることによって、開催執務委員の一員として執務委員長(金沢市農林部長)の指揮下にはいり、審判事務の処理に当たったことが認められる。

すると、訴外堀江は、協会の職員であって身分は金沢市の職員ではなく、同人の給与は協会から支給され、旅費及び日当も協会から出ていて、金沢市からは補助も手当も全くもらっていないものであるが、国家賠償法第一条にいう「公務員」は、いわゆる公務員たる身分を必要としないばかりでなく、公務に従事する期間が臨時的一時的なものであってもよく、給付・報酬等を要件とするものではないと解されるから右のような事実があるからといって同人の「公務員」性を排除することはできず、結局訴外堀江は、本件に関しては国家賠償法第一条に規定する、公権力の行使に当たる「公務員」に該当するといわねばならない。

(三)  つぎに訴外森勝夫、同東出義弘につき判断するに、同人らが、金沢市長より、昭和四七年度金沢市地方競馬開催執務委員(審判委員)に任命されたのは、前述の如く地方自治法第二五二条の一七第一項にもとづいて金沢市長が石川県の職員の派遣を求めたことによるものであるところ、同条第三項によれば、求めに応じて派遣される職員は、派遣を受けた普通地方公共団体の職員の身分をあわせ有することとなることが明らかである。

すると同人らは、当時金沢市職員としての身分をも併有していたものというべく、同人らは金沢市が開催した本件競馬についての審判委員であって、国家賠償法第一条に規定する、公権力の行使に当たる「公務員」に該当することが明らかである。

三  審判委員の事務について

1  競馬法第六条、第二二条によると、勝馬投票法は、単勝式、複勝式、連勝単式及び連勝複式の四種とし、各勝馬投票法における勝馬の決定の方法、その実施の方法については省令で定めるとされ、これをうけた競馬法施行規則第一条の三、第七条の九によると、競走においては、指定市町村の競馬の実施に関する規程の定めるところにより失格とすべき馬を除き、最初に決勝線に到達した馬を第一着とし、第二着以下についても先に決勝線に到達した順序によると定められている。金沢市においては、金沢市地方競馬実施条例が制定され、同条例第四八条によると、到達順位は馬の鼻端が決勝線に到達した順位により審判委員が判定するとされている。

一方競馬法施行令第一五条、第一七条の七によると、指定市町村は、競馬を開催する場合には競馬に関する諸事務を処理させるため開催執務委員を置かねばならないところ、金沢市においては、前記条例第四条で、開催執務委員を数種の委員に分けその一に審判委員をおくことにしている。そして同審判委員は、到達順位および到達差の判定、着順の確定ならびに異議の裁決に関する事務をつかさどるとされ、また審判委員が着順を判定したときは、順位を検量委員等に通知する、そして後検量が行なわれた後、失格馬の有無の認定を行ない、失格馬があるときはこれを除いて直ちに着順を確定し、これを公表するものとされている。なお同条例においては、第五一条に失格とされる馬についての定めがあり、そのうちの一部の事項に関してのみ当該競走に出走した馬の馬主また騎手に限り、審判委員に対して書面による異議の申立をすることができる旨定めているが、着順判定に関し、ことに一般の勝馬投票券の購入者からの異議申立は認めていない。

2  また≪証拠省略≫によれば、地方競馬全国協会は、審判委員の養成及び訓練を行なっているが、着順判定の運用について、「制裁基準とその運用」や「競馬開催執務委員研修読本」と題する冊子を発行し、その中で、「審判委員は、馬の鼻端が決勝線に到達した順位により到達順位を判定し、到達順位が第三位までの馬の番号及び到達順位が第一位の馬が競走に要した時間を直ちに発表しなければならない。この場合、各馬の間隔が大きく開いて大外から追い込んだ馬があるとき、または着差が首以下であるとき等は、写真を参考として到達順位を判定するように留意すべきである。微差の着順を判定する場合、または鼻端を確認できない場合(隠れているとき、鼻白のある馬など)は必ずキャビネ判までに拡大するものとし、肉眼をもって判定する。判定困難の場合は同着とする。到達順位を判定したときは、ただちに、その結果を検量委員(後検係)と投票委員に連絡する。到達順位の発表に先立って、決勝写真を照合しようとするときは、その旨を放送等によって周知させ、また失格の宣告、異議の裁決等によって到達順位と着順との間に相違を来すおそれがある場合には、あらかじめ、観衆に対し着順の確定前にみだりに投票券を破棄しないように注意を与える。」旨記述し、そのような方針のもとで審判委員に判定事務処理の基準と運用を教育していることが認められる。

四  本件レースの模様及び着順判定について

1  昭和四七年九月二五日、被告が開催した本件レースにおいて、訴外堀江一寿ら三名が審判委員として着順確定等の業務に従事したこと、右レースの出馬表が別表(一)のとおりであること、右レースの結果が、一着一号馬、二着五号馬、三着八号馬と着順確定したこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

2(一)  ≪証拠省略≫によれば、本件レースの模様は次の如きであったと認められる。

(1) 本件レースは、向こう正面の、ちょうどゴールの反対側の地点から発馬して、コースを左回りで約一周半競走するものであったが、一着となった一号馬は、第四コースを回った地点ですでに先頭にたっており、そのうしろを八号馬が追走していた。一号馬はそのまま先頭でゴールを駆け抜けたのであるが、直線コースに入ってから、後方から五号馬が馬場の外側を通って追い込み、八号馬と五号馬がほとんど同時にゴールに飛び込んで来た。ゴール板に置かれている長方形の写真撮影用鏡のちょうど真正面の、決勝線に沿った観客席の位置に当時観戦していた原告らや訴外山下藤蔵らの観客には八号馬が有利に見えた。ゴールでは、八号馬に騎乗した騎手が先に上体を起こしており、その時点では、五号馬の騎手はまだ身体を低くして、馬を叩き続けている姿勢であった。

(2) 本件レースの後、電光掲示板に「写真」の表示がなされたのであるが、通常は、着順が発表になった後に右表示が消えるところ、本件の場合はしばらくして消えてしまい、普段の写真判定に要する時間の半分くらいの時間が経過したとき、電光掲示板の着順欄に、1、5、8……と表示されて着順が確定し、「一―五」の馬券について払戻しが行なわれた。その間、レース後の検査場においては、一号馬、八号馬、五号馬の着順で扱われ、一着の席に一号馬、二着の席に八号馬、三着の席に五号馬が入り、騎手も、その順で入って行った。

(3) 本件レースの後には、写真を参考にして判定をする旨の場内放送はなされておらず、また決勝写真の展示もなされなかった(写真判定を行なうという場内放送がなされた旨の≪証拠省略≫は信用し難い)。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、本件レースの到達順位の判定及び着順確定は次の方法により行なわれたものと認められる。

(1) 本件レース当時、訴外堀江ら三名の審判委員は、決勝線と正対した最も高い位置にある審判室で、審判業務に従事していた。

到達順位の判定は、競走馬がゴールに入って来ると、各審判委員が肉眼で到達順位をとり、各自所持している審判台帳にそれぞれ肉眼判定をした順位を書き上げ、一名のものがそれを読み上げた後、合議するという方法で行なわれた。本件レースについては、訴外堀江が到達順位を、「一、五、八、三、……」と馬番で読み上げ、他の二名の審判委員も同一の到達順位と判定したものであるが、前記の如く本件レースでは、五号馬と八号馬とがほとんど一団となってゴール・インして来ており、その着差が首以下の微差であったので、写真を照合するということに審判委員の意見が一致したので、電光掲示板に「写真」の表示をした。

(2) 金沢競馬において一般的に、写真を参考にする場合には、

ア 一番先には、ネガ・フィルムを肉眼で見る。不鮮明な場合には、ルーペを使用して見る。

イ なお、はっきりしない場合に、写真をキャビネ判まで引き伸ばして見る。

この場合、観客の参考に供するため、右引き伸ばした写真を展示する。

という段階を経ていたのであるが、本件レースの場合、ネガ・フィルムを三名が肉眼で見て、訴外堀江が再びさきに読み上げにかかるものと同じ到達順位を読み上げ、さらに三名交互にルーペを使って確認した結果、二着五号馬、三着八号馬で間違いなしということに三名の意見が一致し、キャビネ判にまで引き伸ばす必要はないという結論に達したため、その段階で判定作業は終了した。

そこで、電光掲示板に、1、5、8……の順で着順を表示し、さらに、投票所、後検所及び採尿所へその趣旨を通知し、前記の如き順位による着順の確定がなされ、それに従った払戻しが実施された。

五  本件判定の当否について

1  本件判定事務処理に関する手続的な面についての当否をまず判断する。

(一)  前記認定の如く本件レースの二着と三着との着差については、微差であったため審判委員らが、現実のレースを肉眼で判定するのみにとどめず、写真を参考にしたことは、その段階における事務処理としては相当であったといわねばならない。

(二)  つぎに、本件において審判委員らは、ネガ・フィルムをルーペで観察して、本件レースの到達順位は、二着五号馬、三着八号馬に間違いない旨判定したのであるが、≪証拠省略≫によれば、二、三着の差は近接しているため、本件ネガを金沢競馬場備付けのルーペで拡大したのみでは、一般人の眼をもってしては五号馬が八号馬に先着していると判定するのは容易ではなかったことが認められる。すなわち、(1)両馬の鼻端が、フィルムに一定間隔で連続して入っているいわゆる判定のための補助線(グリッド)の二本のほぼ中間に位置していて、その線をたどっての比較のみでは優劣がつけ難いこと、(2)ゴール脇のカメラと相対する側に設置された鏡に写った像をみると、八号馬の顔面の向こう側半分は明らかに鼻白であるが、その鼻端と白色(ネガでは黒色)のゴール板の台と見られる物体とが重なって、鼻白が顔面のどのあたりまで来ているのか不分明であること、(3)五号馬が、ゴールにおいて首をやや上げているため、ちょうど鼻端が垂直となり、八号馬のごとく凸状になっていないこと、以上の事実が認められ、その結果として、肉眼でネガを透視するだけでは五号馬が八号馬に先着していると判断することは容易とはいえない(別添写真参照)。≪証拠省略≫によれば、本件レース当時の金沢競馬場備付けのルーペの倍率は六倍であったことが認められるけれども、右程度の倍率のルーペで見たとしても右事情に変りはない。また≪証拠省略≫によれば、本件レース終了後、原告らは審判委員訴外森勝夫より決勝写真を見せてもらい、金沢競馬場の事務所において、ネガ・フィルムをルーペで観察・検討していたのであるが、その時、事務所の隣室から来た人が、「なる程、むつかしい」と発言したこと、またその翌日原告らは時計屋である訴外松井行雄を伴って前記競馬場に行き時計屋が使用する四〇倍の拡大鏡でネガを見たところ、同人も同様の意見を述べたことが認められ、これらの各事実を総合すれば、本件レースの五号馬と八号馬の着差は運用基準にいわゆる微差であって、その先後を判断するに、容易ではない場合であったものと認められる。

(三)  以上の事実に照らすと、審判委員が、ネガ・フィルムをルーペで観察したのみで、漫然五号馬が八号馬に先着していると判断したのは手続的に若干疑問があるのであって協会から発行されている前述の「制裁基準とその運用」及び「競馬開催執務委員研修読本」に記載ある業務運用基準に従い、右ネガをキャビネ判にまで引き伸ばして判定するという手続を履む必要があったのではなかろうかと考えられるのである。もっとも、前記運用基準はあくまで判定事務処理のための一指針ないしは基礎的技術をのべたものに過ぎず、これに従わなかったからといって直ちに当該判定行為が法令の規定に反する行為になるということはないが、一方競馬法以下の関係法令は、競馬が多数の観客を擁して行なわれるものであり又多額の金銭が授受されるところから、その公正確保に種々の制度的工夫をこらし、秩序ある円滑な運用を企図していることが明らかであって、これら法の目的、趣旨に照らすと、審判事務は手続的にも公正なものでなければならず、またそれは多数のファンの納得につながるものであり、結局競馬事業の秩序ある運営に資することにもなると解されるから、具体的事案のもとで、審判委員が、ネガをキャビネ判に引き伸ばさないで着順を判定することが、法律上の手続違背と判断される場合もありうると解されるのである。

本件レースについてみるに、前記認定のごとく、八号馬が先行し、五号馬が後方から追い込んで来た場合、追い込み馬の方の脚色(あしいろ)が良いため、一見五号馬が抜き去ったように思われることがあっても、一瞬ゴールを過ぎてから馬体が入れ換わることも多いと考えられ、審判委員としては、写真を参考にするときは、現実のレースを肉眼で観察したときの先入意識にとらわれることなく、虚心に写真の検討を行なうべきであったと考えられる。特に、その是非はさておき、近年競馬が国民大衆の余暇の娯楽として拡大定着してきており、≪証拠省略≫によれば、金沢競馬においても、本件レースの売上が一、九八五万三〇〇円、当日の売上が一億二、三二一万九、二〇〇円という巨額にのぼっていることが認められるのであって、現行競馬事業が観客の購入する各種勝馬投票券の売上によって支えられているにもかかわらず、観客の側からする着順判定に対する不服ないし異議の申立の制度が存在しないことを考えると、金銭を賭するという競馬の特質からして、審判委員は、到達順位の判定につき慎重を期さなければならないと解されるところ、本件においてはことに電光掲示板に「写真」の表示が一旦出たのであるから、観客は審判委員の誠意ある科学的判定を期待していたことは明らかであり、また≪証拠省略≫によれば、ネガをキャビネに引き伸ばすために要する時間はわずか二、三分というのであるから、本件において引き伸ばしをする余裕は充分あったものといわねばならない。結局本件レースの到達順位判定業務においては、右義務をつくさなかった手続上の違背があったものというべく、手続面からみると、本件判定には違法性があると評価されるのである。

2  本件判定は前述の如く手続面において違法であると認められるのであるが、判定の違法を理由に損害賠償請求をするには、右違法を主張する者において更にその判定の内容が客観的真実に反していたことを立証し、実質的な内容において誤った判定であることを証明しなければならないものと解される。本件競馬法関係の判定行為に要求される諸手続は、結局正当な内容の判定を得るために制度的ないしは技術的見地から設定されたものであり、仮りにこの点につき手続的違背があったとしても、結局正しい結論に符合する判定がなされていたとすればその判定行為は手続的に違法であるに拘らず損害賠償を求める要件としての違法性はないものといわねばならない。

そこで更に進んで、本件判定が誤りであったか否か、判定内容の実質的な当否について判断する。

(一)  前記認定の如く本件レースにおける第二着と第三着の着順はいわゆる首以下の微差であって肉眼またはネガ・フィルム透視の程度では着順を判定することは容易ではない状況であったと思われるのであるが、証人山下藤蔵及び原告成瀬功本人は、いずれも第二着には八号馬が入ったように見えた旨供述しているのに対し、証人堀江一寿は反対に五号馬が第二着に入ったように見えた旨証言している。しかし本件レースの状況は前記認定のとおり伯仲していたため疾走して来る数頭の鼻端を決勝線上において肉眼で比較するという作業自体極めて困難な事柄であったことを考え併せると、右各証言には何れも不安定な要素が多分に含まれており、従ってこれらの証言等を如何に慎重に比較対照しても当裁判所としては右証言の何れか一方を真実とし、他方を誤りとする心証を形成することは困難であると考えられる。一般的にいって、競技における審判即ち、人又は物体の連続的動作又は運動の、一定の場所又は時期における静止的状態ないしはその位置関係の判断は、対象が、一般に速く動いていることと、競技中であることから、判定は適正であると同時に簡便にして且つ迅速に行われなければならないという要請を受けており、そのため、判定の方法としては審判者の肉眼に頼っていることが多い。従って多くの競技においては審判者に審判に適する場所を提供しており、また判定が、特定人の感覚器官による認識に基礎をおくものであり、また認識の対象となる動作等は一回的なものであって瞬時に変化するものであるところからその判定についてはこれを絶対的なものとし不服申立を許していないのが通例でありそのような制度は右の如き審判の性質上それなりの理由はあるといえるのである。このことは競技中における審判者の判定の当否が訴訟上争点となったときにもいえるのであって、審判の判定が誤りであることを証言する目撃者がいたとしても、その者が審判者の位置より以上に適切な位置にいたこと、目撃者が審判者より優れた判定能力を有していたか或いは審判者が一般人以下の能力しかなかったこと、などの事情があるなら格別、そうでない以上、単なる目撃者の反対の証言をもって、当該判定を軽々に覆すことは相当でないものといわねばならない。本件につきみるに、原告主張に沿う前掲の証言等には、右説示の如き事情は存在せず、むしろ同証人らは八号馬の馬券を購入している者で、本件判定に利害関係を有していることが明らかであるから、右証言等は右の趣旨において本件判定が誤りであったことを証明するための証拠としては採用できないものと思料する。

(二)  そこでつぎに本件レースにおいて残された物的証拠であるネガ・フィルムについて検討する。

(1) ≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実が認められる。

競馬関係では着順判定について戦後写真判定が採用されたが、初期のころは高速度映画撮影により、その後訴外株式会社山口シネマが開発したフォト・チャート・カメラが一般に使用されるようになり、金沢競馬における本件レースについても右カメラによる撮影が行われた。右カメラの機構は一般のカメラとは異なりシャッターがなく、その代りレンズの中心部の焦点面の前方に約〇・一ミリメートル位の縦のスリットが設けられており、フィルムは撮影対象である動体と同一速度で横に走るようにしてある。このカメラを決勝線の延長線上(スタンド内写真室)に、レンズの中心線が一致するような位置に固定し、馬が接近して来ると、この速度に応じてフィルムを横に移動させる。するとフィルム面上には常に決勝線上の光景のみが次々と撮影され、これによってどの馬の鼻端がより早く決勝線上に到達したかが判るものであって、通常、巾五〇ミリメートルのフィルムを用いて一レースにつき約一メートル位の長さに撮影される。このフィルムには撮影前に一定間隔の縦線(グリッド)が写し込まれていて、現実の撮影が完了しフィルムが現像されると縦の線となって表われ、鼻端の位置を判定するのに役立っている。本件レースのネガも右のような条件のもとで撮影されたがこれによると、八号馬と五号馬の鼻端はいずれも、グリッドとグリッドのほぼ中央附近に写っているため、グリッドを基準として鼻端までの距離を目測することは困難な状況にある。そこで右ネガを用いて本件八号馬と五号馬が写っている部分を縦位置のキャビネ判まで引き伸し、同写真を対象として、前記二個の鼻端を中心に前後五本宛のグリッド(グリッド自体にもまた幅があるのでその中心線をとる)とそれぞれの馬の鼻端との間隔を精密座標展開機を用いて一〇〇〇分の一ミリメートルの単位で測定すると、グリッドはいずれもほぼ平行であって何れのグリッドから測定しても五号馬の鼻端までの距離と、八号馬の鼻端までの距離は同一でなく、常に五号馬が先行している形に差が出て来ており、両鼻端の差は右キャビネ判上において平均〇・一六四一ミリメートルとなっている。もっとも右各グリッドの間隔は厳密にいって一定ではなく、また八号馬の鼻端が写っている部分と、五号馬の鼻端が写っている部分とではグリッド間隔にわずかな差がみられるが、これら微少の差を考慮しても前述の五号馬と八号馬の鼻端の差は崩れることはない。

(2) もっとも前掲証拠によると、前述のキャビネ判写真には決勝線上の種々の物体又はそれらの影が横縞となって写っているが、本来ならば理論的には平行であるべきはずのこれら横線は厳密には必ずしも平行ではなく例えば前記キャビネ判上において前記測定の際の基点より七七・六七ミリメートル移行した点における横線は、正常値である六一・二八二ミリメートルより上辺において〇・一一一ミリメートル、下辺において〇・〇八八ミリメートルプラスした位置にずれて写っていること、フィルムの材質ないしは製造段階における歪が生じていないとはいえないこと、撮影時のフィルム捲きとりに振動と伸縮がないとはいえないことなどの事実が認められる。そして縦線(グリッド)がぼほ平行であることは前記認定のとおりであるから、右横縞の線が平行でないことは本件馬の鼻端の先後を判定するのに一応関係がないと考えられるのであるが、かりに右事情などが本件ネガ全体の正確性を判断する上で何らかの関連があるとしてもその影響の程度はどの程度のものであり、その結果前記認定の差にどの程度影響するのかその関係についてはこれを明らかにする証拠はない。従ってこれらは前記(1)認定を覆すに足る事情とは認め難いのであるが、かりに右事情を重視し写真の証拠力を減殺したとしても前記(1)において認定した五号馬先行という形での測定結果が肯定されないということであって、このことから逆に八号馬優位とか、五号馬と八号馬とは同着であるという結論が出てくるものでないことは勿論である。

(3) すると本件ネガ・フィルムによっても本件判定が真実に反する誤った判定であると認定することはできない。

(三)  原告らは更に本件レースでは八号馬が五号馬より先に決勝線に到達していなかったとしても、同時に決勝線に到達していたと主張するので判断するに、本件各証拠によるも、両馬が、科学的な意味において決勝線に同時に到着したと認定するに証拠上種々の困難があることは、五号馬先着の判定が誤りであるかどうかの認定の場合と同様であって、結局本件全証拠によるもこの点についての立証はないものといわねばならない。

(四)  つぎに原告らは科学的な着順とは異なり、別の観点から運用上同着として処理する義務があったと主張するので判断するに、本件レースにおいては、ネガをキャビネ判まで引き伸しても、肉眼または五または六倍程度の倍率のルーペを使用する程度では判定は容易でなかったことは前記認定のとおりである。従って審判委員が同着として処理したとしてもその事務処理の方法としては前後の事情からみて或いはその判定には違背はないということができるかも知れない。しかしながら競馬法以下の関係諸法令によると、決勝線に先に到達した馬をもって勝とする旨定めていることは前述のとおりであり、科学的な意味での同着はあり得るが、ある巾をもった微差のある場合を含む同着概念は予定しないところである。ただ判定が人の眼をもって行われる関係上常に科学的な判定を要求することは不可能を強いることになるため、運用において判定事務を定めた諸手続を履践してもなお判定が困難であると審判委員が判断したときは同着として処理しても差支えないとしたに過ぎないというべきである。したがって理論的にいって同着にすべき場合としては科学的な意味における同時到着以外にはあり得ないものというべく、それ以外の場合即ち科学的に同時到着とはいえないが、判定困難として同着として処理すべき場合を審判委員に義務づけられているもの換言すれば同着としなければ違法となる場合があるものと解することはできない。

すると本件において科学的な意味における五号馬と八号馬の決勝線への同時到着が証明されていないことは前述のとおりであるから、審判委員に対し同着として処理すべき義務があったとすることもまたできないといわねばならない。

原告らの右主張も理由がない。

六、以上によると、審判委員のなした本件レースにおける着順判定行為が実質的に違法であるとの立証はなく、その他右判定が原告らに対する関係で国家賠償ないしは不法行為となることについての主張立証はないから、原告らの本訴請求を何れも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上孝一 裁判官 小島寿美江 沼里豊滋)

<以下省略>

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